Non-binary日記

心ー魂ー体 すべてで生きていくために。ジェンダーのこと、身の回りの思うこと。

宇宙とつながる文学『モモ』

「子どもの頃にちゃんと読んでおきたかったー!」という想いをしたのは、『星の王子様』以来。でも、私は本とはいつも運命のタイミングで出会うのだと信じているフシがあって、この『モモ』も我慢できないほど読みたくなった今というタイミングだったからこそ、たくさんのメッセージに気づけたと思う。

ネタバレ含むけど、思いついたことを大まかにまとめちゃう。

エンデは間違いなく、プラトンや古代哲学者と同じく、星の声が聞こえていた人だ。宇宙の声を聞き、星の子どもとしての人間の命の本質を見通していた。

宇宙の音楽、心の花の色を見たモモがひとりぼっちになってしまった場面での描写は、この世を生きていたエンデの心持ちそのものだったと思う。

「モモはまるで、はかり知れないほど宝のつまったほら穴にとじこめられているような気がしました・・・ときには、あの音楽を聞かず、あの色を見なければよかったと思うことさえありました。それでも、もしこの記憶を消しさってしまおうと言われたとしたら、どんな代償をもらおうと、やはりいやだとこたたことでしょう。たとえその記憶の重みにおしひしがれて、死ななければならないとしてもです。なぜなら、今モモが身をもって知ったことーそれは、もしほかの人びととわかちあえるのでなければ、それをもっているがために破滅してしまうような、そういう富があるということだったからです。ー」(p317)

だからきっとエンデは、数々の美しい物語を書き続けた。書き続けなければならない運命を背負わされた、といってもいいのだろう。なんて美しい宿命なんだと憧れてしまう。

さて。

ここに出てくる「時の国」の構図を読み解いていくと、実に興味深いエンデの考え方が現れてくる。

モモに至福体験をさせてくれ、時の叡智を授けてくれた<どこでもない家>=”時の国”。ここに行き着くには、2つの不思議な空間を通る。

一つ目が、夜明けとも夕暮れともつかぬ光が満ち、影がバラバラな方向を向く場所。家が眩しいほどに白く輝き、窓が暗く、むこうには四角く黒い石に巨大な卵のようなものが乗るモニュメントがある”ふしぎな地区”。

二つ目が、逆さまに動かなければいけない”さかさま小路”。につく。

これらを物語の文脈に沿って解釈していくと。

<どこでもない家>=死、もしくは星々の音楽の領域。時間を司るマイスター・ホラのすみか。
”さかさま小路”=生と死の間の領域
”ふしぎな地区”=生の領域

と考えられる。

ここで注目したいのは”ふしぎな地区”のことである。
これ、”生”の領域なのだが、その特徴はといえば・・・

・夜明けとも夕暮れともつかぬ光が満ちている
・あらゆる方角から光が降り注いでいて、影がバラバラの角度
・生き物はいないし、動きが全くない

そしてなにより・・・
・ノロイホドハヤイ=「ゆっくりほど速い」

これって実は、私たちの人生のことなんですよね。差し込む光は無数にあって、時間は他人が決めることはできない。そして、時間泥棒に奪われていない「本当」の私たちの”生”の時間は、ゆっくりほど速く進んでいる。ゆっくり=非効率的に思えるものほど、本当はその心の奥の「星の振り子」がかけがえのない美しさをたたえた「時の花」を育むから。

そして、「時の花」を育む私たちはきっと、生きがいや幸せにあふれているから。

心が時間そのものだと気づかせてくれる。
宇宙の光の中で、自分の心の振り子=星の振り子 を動かしたら、黒い水面=自分の無意識 から、美しい花が咲く。

自分はまだまだいつも、効率やら効果やらお金やら、目先のことにとらわれまくってて、時間泥棒から時間を取り返したとは思えていないけど、この本を読んで、取り返すコツをまた一つ見つけた気がしている。