男女別トイレじゃないと困るのは誰なのか
「男女別トイレはもうやめて、全部個室にしようよ!」
っというのが、前回書いた私の経験から出てくる思い。
ですが果たしてこの思い、世の中のどの程度の人に共有されるのでしょうか?
*Yahoo意識調査
まぁちょっと、調査の説明も二つの質問も乱暴だなという印象がぬぐえませんが、傾向の参考程度にはなるかと思います。
結果は10日間で20万票。うち88%もの人が、「男女別トイレを減らすべきではない」と回答。
*私の友人数名に聞いてみた。
・「異性の存在感がするだけでイヤ(女性)」
音姫は使われるものの、ただの気休めってことですね。
「男が使ったトイレは汚そう」(女性)
(いやいや、それも偏見ですけどね〜)
「なんか緊張する」(男性)
(わかるけど、男の便器の独特の緊張感もあるでしょ?)
世の男女のパートナーがトイレを共有していることがなんだか奇跡のように感じますね〜。
このような、トイレの共有という高い壁、便器という深い溝を乗り越えてみなさま共同生活を営んでいるわけですね。愛の深さが想像できます。
・・・冗談はさておき。
このアンケートのきっかけになった2015年のカリフォルニア州サンフランシスコの小学校。
保護者の一人は、この取り組みに対して
「つまり、家のトイレと同じになったわけね」
と話しているそう。
そうなんです。
そもそも気づいたことは、
誰も本当は、他人とトイレの共有なんてしたくない。
その中でトイレの問題って、
「性別カテゴリーに収まらない人をどうするか」
っていう話に見られがちだけど、
実は、
「男と女の壁を、どうしてそんなに高く作るのか?」
っていう問題なんじゃないかと思うんです。
上のイラストは、シアトルの高校生が自主的に行動し、男女どちらでも使えるトイレを学校に作った時のもの。それが広がり、その後すぐにシアトルの半数近くの高校に、このようなジェンダーニュートラルなトイレが作られているといいます。
Year-long student effort leads to gender neutral bathroom at Seattle high school | KIRO-TV
「インクルーシブ=包括的」
つまり、男でも、女でも、それ以外でも入れるトイレ。
いいネーミングだと思うのです。
そしてひるがえってみて、
男と女に分けられたトイレ、というのは、
「それ以外」の人の行き場がないから問題だ、
ということではなく、
「誰もがみんな、どちらかにはまっていないといけない」
「男と女は、まったく違うもの」
というメッセージをそれだけで発してしまうから問題なのだと思うのです。
男だって、綺麗にトイレを使えます。
女だって、汚す人は汚します。
要するに人それぞれ多様であって、「男ならこう」「女ならこう」って絶対に決められないはず。
それなのに、男と女に空間がしきられていることによって、それぞれの実態が見えなくなる。
だからこそ、
「女はきっとトイレが長いから面倒くさ」とか
「男は汚く使うからそのあとなんて使いたくない」とか、
「分からないけど無理」的な状況が生まれてしまうのではないかと思うのです。
最初のアンケートのきっかけになったサンフランシスコの小学校の先生の言葉。
「児童全員に安心感を持ってもらいたいだけではなく、全員が一様に平等であることを理解してもらいたい
男女別トイレを段階的廃止、米サンフランシスコの小学校 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
そして、当事者でもあり、男女の枠に収まる性別意識を持たない1年生の児童の言葉。
「これならいいよね。誰も人間を区別する必要なんてないんだ」
男女別トイレを廃止するサンフランシスコの小学校 「誰も人間を区別する必要なんてないんだ」
本質的には、これにつきると思うんです。
セクシュアル・マイノリティだから配慮が必要なのではなくて、
男と女に区別しすぎるマインドセットを変えることで、
自由になるのは
セクシュアル・マイノリティじゃなくて、
みんな なんだっていうこと。
だからやっぱり、少しずつでも、誰でもトイレが増えていって、男女別トイレは、「どうしても」っていう人のためのものになったらいいなと思う。