Non-binary日記

心ー魂ー体 すべてで生きていくために。ジェンダーのこと、身の回りの思うこと。

アイデンティティ

学生時代、アイデンティティについてさんざん勉強してきて、「アイデンティティは、記憶の束だ!」とか、「自分の帰属や思考の足跡みたいなものだ」と思ってきたけれど、ヨガの思想にふれ、瞑想を半年ほど続け、そういう価値観が変わりつつあるのを感じる。

西田幾多郎は『善の研究』で、忘我の境地に達してなお自分を動かす"なにか"こそが自己なのだと言っていたけれど、その境地が垣間見えてきた。


先週うけたハーバルメディスンの先生マルコスも同じことを言っていた。「自己はすべてを知っている。でも、その自己はあなたが思い考えている自己じゃない。心を空っぽにして本能的に浮かぶことの中にこそ、あなたが現れる、世界と繋がれる」と。

剣道の師匠もよく言ってた。「何も考えないで身体が動く無我の境地がいいんだ」と。だからこそ、そんな身体を作るべく訓練するんだと。

バカにしたくなる、祈れば通じるという考えはでも、本当なのだと感じるようになった。祈り方こそが問題なのだ。自分は何者なのか。知らないけれど、知っている。知っていることを知っていて、そんなコミュニケーション不能な自分を信じている。自分が自分である、自分では理由をつけられない部分の神聖さを、自分の中にいだきこむこと。それがアイデンティティなのだろう。

と、今のところは雑に記しておく。